水疱瘡日記

2019年3月24日

大学院生時代(2002年)に水疱瘡で入院したときに暇すぎて書いた日記。

1日目

ある日、俺の手に水っぽいブツブツが発見された。なんだこりゃ。まさか水疱瘡(みずぼうそう)じゃないの?(笑) 水っていうくらいだし。

次の日になってみると、なんと増えていた。気になって親に見せてみると、「水疱瘡じゃないの?あんた水疱瘡かかってないし。」とのこと。「え?かかってなかったの?」こりゃ驚いた。ちょうど土曜日なので、以前鼻を手術したD病院の内科を訪れた。

内科の女医さんに「親に水疱瘡じゃないの?と言われたので来てみました。」と、自主性に欠ける発言をしたところ、真剣な顔で「すぐ検査してきて」と言われた。そんなにオオゴト? 俺は血と尿を抜き取られ、皮膚科に放られた。そして遂に皮膚科で「水疱瘡に間違いないでしょう」とお墨付きを貰ったのだった。

その後、老看護師に上半身から下半身すみずみまで軟膏を塗られ、大人になってからの水疱瘡は症状が重くなる可能性があるため今回は即日入院、おまけに隔離病室である。「一歩も外出ちゃダメ」だって。

ダメ元で「携帯はダメでもPHSなら使ってよいですか?」と聞いてみると、なんとOKだそうである。-H"(エッジと読む)で良かった。皆さんもいつ水疱瘡で隔離されてもいいように-H"を使いましょう。ユーザが少ないからイタズラメールもなかなか来ないよ。困ることといえば,現在-H"の電池残量が0に等しく、なおかつ充電器がないということくらいである。

さっそく衣類などを家族の方々が届けてくださったが、兄貴は病室を見て「俺の会社の寮よりも綺麗だよ」と仰った。で、ブツブツを消してくれる魔法の点滴が腕に突き刺さり、マズイ病院のご飯を食べ、眠りについた。だんだん体が痒くなってきた。これからどうなるのだろう。

2日目

朝起きたらビックリ。顔にいっぱいブツブツができていた。ボコボコである。すごい顔。ドア開けてこんなのがいたら、俺ならとりあえず閉めるであろう。お茶を入れに来るおばちゃんも何だか逃げ腰である。

本日は昨日と別の兄貴に-H"の充電器を届けてもらった。お見舞い品として、古い週刊少年サンデー、スーパーのビニール袋(←?)、飲み物などを持ってきてくれた。ありがたい限りだ。兄貴は俺の顔を見るなり「うわっ、お前すげー顔だな。」とショッキングなことを言い、少し話しをしていたが、「うつるとコワイからもう帰る。じゃあな。」と言って帰っていった。水疱瘡はまれに二度かかる人もいるらしい。

もらった週刊少年サンデーを読んでみたら、この号はつい3日ほど前に暇だから立ち読みした週刊少年サンデーだった。他にすることあっただろう、3日前の俺。

昨日よいと言われた-H"の使用だが、別の看護師さんにはダメだと言われた。どっちなのよ。あまり聞くとマークされそうなので密かに使うことにした。充電のタイミングも非常にシビアだ。

夜になってくると徐々に熱が上がり、ノドが痛くなり、目がしみるようになった。そろそろやばくなってきたのだろうか。不安はつのる。

3日目

昨日上がっていた熱は今日の朝には下がっていた。あれ?

今日は先生の検診があったので「のどが痛くて目がしみる」と言ったら「それは関係ないです。」と言われた。なんだ関係ないのか。暇だから「なんで大人になると水疱瘡が重症になるのですか」と聞くと「詳しいことは分かっていません」とのお返事。ふーん。

一昨日、昨日と、看護師さんに「食事おわりましたか?」と言われてまだ食べ終わっていないという大失態を演じ続けてきたので、今日は「終わりましたと言う」を目標に頑張った。そもそも来るのが早過ぎである。持ってきたときに「ごゆっくり」と言ったではないか。あんなスピードでは体にブツブツが無くて点滴が刺さっていない状態だって間に合うかどうか。他の病人は本当にあのスピードで食べているのだろうか。隔離されているからサッパリわからない。

というわけで今日は食料を猛スピードで食べた。ところがこんな日に限って膳を下げに来るのが遅い。何故だ。こんなに頑張ったのに。二日連続で食べるのが遅かったから「遅い人」の烙印を押されてしまったのだろうか。非常に残念な結果だ。

本日はあまりに暇なので点滴のシズク数を数えたりして時間をつぶしてしまった。論文提出前の若き研究者にこんなところを見られたら、専門辞書でぶん殴られてしまいそうだ。専門辞書の早急な電子化を望む。

4日目

水疱瘡日記というよりも、ただの日記の様相を呈してきた。水疱瘡による俺の体の蝕み具合はどうなのかというと、全然大したことはないのである。熱も無くなったし、ノドも痛くなくなったし、目もしみなくなったし、痒くもなくなった。今蝕まれているものといえば、暇でゆるんでしまった俺の頭くらいだ。水疱瘡の一番問題なのは人に伝染ることのようで、今の状態でも全人類を敵に回すことを覚悟すれば普通に外出できる。退院は金曜(7日目)に決定したので、あとは点滴を14本打って72時間以上ヒマを持て余すだけで退院することができる。

ということで、昨日俺の頑張りが抹殺されたご飯の時間が来たので頑張らずにのんびり食べていたのだが、なんと今日はまた下げに来るのが早い。また下げ遅れてしまった。今気付いたのだが、だんだん病院のご飯が美味しく感じてきた。何かの薬で騙されているのだろうか。

本日は入院後初めて、頭を洗う機会を得た。最初は「ここで洗ってね」と、便所の横のちっさい洗面所を指差されたが、そんなところに頭が入るわけがなかろう。目がおかしいのではあるまいか。そこで移動式シャワー付き洗面所が運び込まれた。社会から隔離された重病人も、これさえあれば頭サッパリである。看護師さんにシャワーからお湯を出してもらい、シャカシャカ洗い始めた。

シャワーのお湯は俺の頭に当たり、跳ね返って、俺のパジャマやベッドや床をどんどん濡らしていった。本当にこの使い方で合っているのだろうか。頭をサッパリ洗い終わったころには俺のズボンはびしょびしょになっていた。「濡れちゃったから着替えた方がいいかもね。」言われなくてもわかっています。

ベッドの一部が濡れたので、その日俺は濡れたところをよけて小さくなって寝ていた。何はともあれサッパリした。でも日本はトルコに負けた。

5日目

また退屈な一日の始まりである。体の水ブツブツも、退屈のせいか徐々にしおれてきた。

本日は朝食に出たイモと干しブドウの和え物を食パンにのせるかどうかに悩まされた。結局単独で食べたが,すごくまずかったので間違いだったのかもしれない。

いつものように体を拭くタオルが支給されたので、部屋のカーテンを閉めて下半身を拭こうとしたら、看護師さんがカーテンを開けて「カユミはどうですか?塗り薬が必要ですか?」と聞いてきた。あれ?このカーテン、閉めてる意味あるのかなぁ。

連日サッカーワールドカップを観戦をしていた流れで、今日もサッカーがあるかと思い1000分1000円のテレビをつけたところ今日は試合が無く、無情に放映されていた、多すぎる塩分、糖分、カフェイン、アルコールを薄めて健康になるミネラル麦茶のCMを見て、薄めるだけなら水でいいじゃないかと思い、消した。

母が、一日おきくらいに現われてすごい量の食料を冷蔵庫に補充してくれるのだが、どう考えても食べ切れるはずがない。サクランボだけでも延べ100本は持ってきている。俺なりに頑張ったが、現在もハーゲンダッツのアイス1つ、プリン2つ、シュークリーム1つ、サクランボ50本、何故か冷蔵中のプリッツ2箱、ペットボトルのジュース1本が貯蔵されている。ナマなモノを持って帰りたくないので、少なくともアイスとプリンとシュークリームとサクランボ50本は処理しようと思う。タイムリミットはあと一日。もう水疱瘡どころではない。

6日目

今朝は登山する夢を見た。

ターゲットは高尾山、仲間は1人(知らない男)、何故かつるはしを持って洞窟を進み、山頂にあった温泉の脱衣所に荷物を置いて、さして眺めも良くない山頂を堪能、その後脱衣所に戻ったら、温泉宿の主(外人)に勝手に荷物を整理されており、つるはしとナップザックが行方不明で大あわて。

という夢だった。予知夢かもしれないので、ここに記して覚えておく。

7日目

長かった点滴も,今日の朝でおしまいである。最後の点滴が終わったところで、7日間刺さりっぱなしだった針を看護師さんに抜いてもらった。肌に張り付いたテープを一気にはがされ、腕の毛がすごく抜けた。痛い。

で、針が刺さっていたところをアルコール消毒して止血用に布をあてがってくれた。「ここ、血が止まるまで押さえといてね。」「はい。」

それで、しばらく押さえていたのだが、よく腕を見ると俺が押さえているところのちょっと上の、別のポイントから血が出ているように見える。なんだこれは。

俺が押さえている出血しているはずの部位を覗いてみたら、なんとそこは出血ポイントではなくて水疱瘡の跡の赤いブツブツがあるだけだった。どこを押さえさせておるのだ。

続く。